NPO無電柱ネットの理事長を務める高田理事長にインタビューを行いました。大阪・阿倍野にある理事長の会社をインターン生が訪ねて、街づくりについてのお話をたくさんお聞きしました!無電柱化と街づくりの繋がりとは?

Q1 .なぜ無電柱化事業に関わろうと思ったのですか?

私は街づくりを専門にしていて、古い建物の保存や空き地の活用などを仕事にしている。なので無電柱化から仕事に入ったわけではない。しかし、街づくりする中でせっかく街並みを綺麗にしても電柱が残ってしまっていると、むしろ電柱・電線の方が目立ってしまうことに気が付いた。ライフワークの中で無電柱化に繋がっていったという感じだ。

Q2. 街づくりが成功した例を教えてください。

京都の福知山は私が街づくりに深く関わってきた街の一つだ。滋賀の草津などは京阪神からの交通の便もよく、人が集まってくるが、福知山は地元の人しか残らないので外から人を呼ばないといけない。

「中心市街地活性化計画」を平成23年から進めているが、私が市に提案したのは福知山城の前の空き地を大きなガーデンにすること。市の土地だからやろうと思えば何でもできる。だから、お城を見ながら食事したりゆっくりできるお店を7つ招致した。市の補助金により完成したが、地元の人が参加できるように「福知山まちづくり株式会社」を作ってより主体的に参加できるようにした。ガーデン来訪者アンケートを取ると、意外なことに近くの住民・車で20~30分の人・遠方の人がそれぞれ3分の1ずつの割合だった。

                     (福知山の地図)出典:福知山市HP

お城の周囲だけでなく、街を回遊できないと意味がない。そこで、昔ながらの街なみの残る広小路商店街から修景を始めた。アーケードを取っ払ったり、空き家をカフェに変えたりして街並みは良くなった。しかし、無電柱化の課題が残っていた。商店街の人々ははじめ無電柱化を納得してくれなかった。工事期間が長いから営業できないんじゃないか、うちの車が出せないんじゃないかと。地方では車は欠かせない交通手段だ。まさに「総論賛成・各論反対」で、いざ進めようとなるとなかなか進まない。そこで、井上事務局長と2人で勉強会を5回ほど開き、色々話し合ってうちの前でトランスを置いても良いという住民も現れるようになった。トランスも始め8個地上に置く計画だったが、道路管理者、電力会社と共に話し合って半分まで減らせることがわかった。勉強することで皆の不安や反対の考えが変わった。そして1年前に無電柱化が完成した。今は駅前の道路の無電柱化を進めている。こうして街の回遊線を作っている。

                     (ゆらのガーデン)出典:ゆらのガーデンHP

Q3. お話を聞いていると、観光都市のみが街づくりを行うものと思うのですが…?

街づくりはどんな街でもそれぞれのやり方で行うものだ。私は生活と観光の場の両立だと思っている。本当のテーマパークは別だが、街並みを愛でながら観光してもらうやり方(文化型観光)が最近の街づくりのやり方として進化している。

例えば長浜はもともと観光都市ではなく、地元の人がそこで商売をしていてお客さんを呼び込むために賑わうようになった。街づくりで商売をするようになったという逆パターンもある。大阪富田林市の寺内町は自治都市として栄え、古い街並みが残っていた。これが大阪市内から電車で30分の距離にあるというのがすごいところ。私は是非街並みを残そうと、地元の人に掛け合って「富田林寺内町を守る会」を作った。また、地元の人にアンケートを取ると、「慣れ親しんだこの街を生活の場として残したい。でも観光客がたくさん来るのは嫌だ」という声が多かった。そうして街並みは綺麗になったが今度は若い人が出ていく。なぜなら、ちょっとしたカフェやパン屋などがなく、皆車なんかで外に流出してしまうのだ。街が残って人が残らない状態。これではいかんと30件ほどの空き家をお店に改造してきた。単に生活の場としてではなく、外からも人が来てくれる魅力ある場(広い意味での観光)も必要である。その意味で、生活と観光は切り離してはいけない。

                  (大阪富田林寺内町の街並み)

Q4. 色々な都市のプロジェクトをされてきたが、事業の最初からいきなり街づくりをされたのか?

もともとは建築家として、1軒のお好み焼き屋の店舗設計を任された。しかし、依頼者の土地だけが見栄えが良くなっても、いざ完成して周囲と見比べてみると周りと調和していない。それに違和感を感じて、街づくりを始めた。街全体としてのリニューアルを考えていくというのが今のスタンスである。

Q5.街づくりの計画を市に提案してすぐ取り合ってもらえるものなのですか?

提案する形にも色々な場合がある。例えば、富田林の場合は、地元の方が市にぜひやってほしいとお願いがあって始まったものだし、福知山の場合は、行政の方が地域活性をしなければならないと考えてHPなどを調べ、僕たちのところへ担当の方が来られて、活性化のお手伝いをしてほしいとのお願いを受けて始まった。草津の場合は、ある一画を再開発していく中で、周りと比べて一画だけ再開発している状態だと浮いてしまうということから周りにも広がっていった。このように、僕たちから提案していく、住民から提案していく、あるいは行政から相談を受ける、など色々な場合がある。

Q6.街づくりをするにあたって大事なことはありますか?

ハード面とソフト面の両方がある。ハード面は、それぞれの街の個性を大事にするということ。枚方には枚方の、福知山には福知山の、富田林には富田林の個性があるのだから、それぞれの街の個性をもう一度引き出し、なくなったものは甦らせ、残っているものはこの先も残していく、ということを僕たちは大事にしている。

ソフト面は、協働の仕組みを大事にするということ。行政や企業、僕たちから一方的に街づくりを押し付けても、地元の方が納得したり理解していなかったら、結局長続きしないと思う。行政は行政でやる、企業は企業でやる、住民は住民でやる、というのではなくて、街というのはみんなで関わっているものだから、パートナーシップをベースにした仕組み作りが大事だと思う。例えば、福知山でも長浜でも草津でも、中心市街地活性化協議会を作っていて、毎月一回、地域の方と行政の方、商工会議所の方に加えて僕たちがコーディネーターとして入って情報交換をし、計画の方向付けなどを行う。このような協働の仕組みが大事だと思う。

                    (インタビュー風景)

Q7. NPO無電柱ネットでは具体的にどのようなお仕事をされているのですか?

主に二つある。一つ目は、より多くの方に無電柱化を知ってもらうための、色々な情報発信や勉強会やセミナーなどの開催である。電柱・電線があるのは先進国で日本だけなのに、みんなは当たり前のように思っている。だから、もう一度電柱・電線に目を向けて関心を持つことが大事。そのためにセミナーや勉強会などに取り組んでいるし、できることをやりたいと思っている。二つ目は、無電柱化のための仕組み作りである。地元の方や行政の方は、無電柱化をしようと思ってもどうすればいいのか分からないことが多い。これは無電柱化の難しいところ、すなわちアクターの多さと関連している。無電柱化には行政や下水道・水道、ガス、電線管理者、電力・通信事業者が関係しているため、深く理解できず、どうすればいいのか分からなくなってしまう。また、このアクターの多さがコストアップにもつながってしまう。だから、コーディネーター的な役割をして、ローコストの技術の情報を伝えたり、行政や電力会社を含めた一つの場を提供したりするなど、関係する方達がそれぞれの思惑で動いているところをうまくつないでいけたらと思っている。

(2019年 無電柱化シンポジウム&パネル展の様子)

Q8.無電柱化の将来のビジョンはありますか?

今のままだと、無電柱化は進んでいるが年間7万本の新しい電柱が立っているため永遠になくならない。民間のデベロッパーが団地開発するときに電柱を立てないなど、とにかく新しい電柱を立てないようにしなければならない。電柱を立てないようにすれば1件で100万円近く高くなってしまうが、デベロッパーの人に聞くと、「そうしないといけないと言われたらみんな横並びだし、する。」と言っている。だから、国として、企業として、無電柱化を当然のような仕組みにするということと、ローコストを追求していきたい。外国で行っている方法で進めればコストも今の半分ぐらいにはできるし、ローコストを思い切ってすることによって無電柱化が加速していくと思う。現に、韓国や台湾、シンガポールなどでは無電柱化していて、実例やそのための方法があるのだから、そういうことを世論としても高めていきたいし、技術と国の制度がうまく嚙み合えば十分に希望は持てる。

Q9.学生時代にすべきことや学生へのメッセージはありますか?

一言でいえば、あまり自分を枠にはめずに、ウィングを広げてほしい。僕も高校3年の夏休みに外国の建築家を紹介している雑誌を見て、急遽文系から理系に変更し、建築の道を目指した。時代はまだまだ変わっていくし、可能性もまだまだあるので、できるだけ色々なことに興味をもって、可能性を少しずつ広げたり、追求するという構えがあったほうがいい。それから、あまり人の言うことを聞きすぎない方が良いと思う。話を聞いてしっかり受け止めて、自分なりに消化し、自分らしい生き方は何かということを考えてほしい。なんといっても、これからまだ80年ぐらい生きないといけないのだから、その時に「ああ、いい人生だったな」と思ってもらえたらと思う。

最後に

高田理事長、初対面にも関わらず、インタビューをお受けいただき、丁寧にご回答してくださり、本当にありがとうございました。もともと街づくりに関心があったので、すごく興味深い内容でした。色々な経験を積んで、自分の可能性を広げていきたいと思います。(インターン生 中原・岸田)

高田昇(たかだ すすむ)

 

所属
COM(コム)計画研究所代表
http://com-planning.co.jp/
経歴
都市計画家、立命館大学名誉教授(政策科学部)
神戸大学工学部建築学科卒。
宮後建築事務所を経て、1970年COM計画研究所設立。
1987年~1990年神戸大学工学部非常勤講師。
1990年立命館大学教授に就任。
その間、各地のまちづくり事業にプランナー・コンサルタント又、計画、企画・推進、コーディネートの業務にあたる。
趣味

ガーデニング、音楽、旅行、自然・歴史環境の保護

一言

まちづくりは少数のフロンティアによって始まり、

 多数の市民により持続・発展され、

クリエーターによりエンドレスに向かう

【インターン生企画】【インターン生記事】NPO無電柱ネット 北村理事にインタビューしました!