【報告】「蔵の街とちぎ」見学会

去る6月23日、街並み委員会主催で「蔵の街とちぎ」見学会を行いました。栃木市は①東武鉄道栃木駅前地区と ②無電柱化された大通り地区、そして ③重伝建地区の3つのエリアからなります。今回は②の無電柱化された大通り地区を中心とした見学会のご報告です。

参加者は総勢7名。午前中は栃木市観光協会のボランティアガイドMさんのご案内でスタート。市内に多く残る見世蔵や歴史的建造物、巴波川(うずまがわ)について詳しく説明を受けました。昼食を兼ねた意見交換会では、参加者それぞれの視点でのコメントがあり、大いに盛り上がりました。その後はフリータイムとして各自美術館や重伝建地区など視察していただき、最後はファミレスでお茶しながら全員で、視察の感想など報告しあい解散しました。

観光ボランティアMさんの説明を聞きながら、個性豊かな町並みを見学。これまでの街づくりの取り組みや蔵のまち栃木についてよく理解することができました。塚田歴史伝説館前にて。ボランティアガイドのMさんは左から2人目。

栃木市は県南部に位置する人口15.8万人の都市です。栃木市は江戸から明治にかけて、 日光例幣使街道の宿場町と して、また、巴波川を利用した舟運により材木や麻を江戸に運び、江戸から物産を栃木近郊へ運ぶ水運のまちとして栄えました。

巴波川と蔵を活用した町並み整備

江戸末期の 大火で焼け残った蔵づくりの建物は、改めて その防火性が評価され、見世蔵など『蔵』づくりの建物が多く建てられました。ところが明治の近代化以降、東北本線など鉄道網や道路網の発達がきっかけで経済競争に取り残され、明治で発展がストップしてしまいました。そのおかげで、小江戸といわれる昔ながらの街並みが残ることになったわけです。 今はその街並みをかけがえのない歴史的、文化的財産として、蔵と巴波川を活用した個性豊かなまちづくりを目指して市民・行政が一体でまちづくりに取り組んでいます。

これまでの経緯

・昭和38年(1963) 初めて3万匹の鯉を巴波川に放流する。

・昭和53年(1978年)・1978年から展開された「やすらぎの栃木路」キャンペーンで栃木市は「鯉のいる街 蔵の街」として観光都市を目指して取り組む。

・ 昭和63年(1988) 県の誇れる街づくり事業の指定を受ける。巴波川・蔵のまちルネッサンス「栃木市誇れるまちづくり計画調査報告書」を策定。 蔵の街にふさわしい街並み修景づくりに取り組む。

・「まちづくり計画」は蔵などの歴史的建造物や錦鯉が多く生息する巴波川などの自然環境を生かした「個性の魅力的なまちづくり」と蔵なども多く存在する中心市街地の活性化も併せて図られ「商業活動や観光活動の活性化並びに居住環境の向上等」を計画に位置づけ取り組む。

・具体的な活動

・平成 2年(1990) 「栃木市歴史的町並み景観形成要綱」を制定する。

①大通りアーケードおよび歩道橋を撤去し、無電柱化による大通りシンボルロード化に着手する。下水道整備、歩道のプロナード化=県事業、幅員・約18メートル、延長・95メートル

②歴史的資源整備(蔵等の集景・保全=修景補助77件、補助・融資制度創設、町並み修景ガイドラインの制定)

③核施設整備(山車会館建設、観光館開設、美術館開設、山本有三ふるさと記念館開設)

④ネットワーク整備(駐車場整備、蔵の広場等の整備、市道・網手道のプロムナード化=歴道、ウオーキングトレイル事業)  また栃木市は「栃木市歴史的町並み景観形成要綱」を作成し、中心市街地の約48haを栃木市歴史的町並み景観地区に指定した。

街並み修復事業

平成2年に策定した『栃木市歴史的町並み景観形成要綱』と同補助金交付要綱に基づき、平成2年から平成28年度末までの間に、112件の修景補助を実施。
◎修景前
延長:935m
幅員:18m
全体事業費:1,683百万円
事業期間:平成2年度~8年度
身近なまちづくり支援事業
延長:830m
幅員:5.5m
全体事業費:294百万円
事業期間:平成4年度~8年度

◎修景後
アーケード、看板、建て増し部分の撤去

住民との美化活動による巴波川の再生・活用

かつて全国ワースト2位まで水質が悪化した市の中心部を流れる巴波川を、昭和55年から地元自治会とともに地元3団体が主催し巴波川支流沿岸の25自治体の協力を得て年3回、一斉清掃より浄化・再生にとりくんできました(延べ4000人)。川に対する市民の思いも深まることに。

巴波川を景観資源として活用するため、川沿いの歴史的建造物の回遊ルートの整備や、NPO団体による遊覧船の運行などが行われています。「蔵の街とちぎ」のシンボル巴波川は、観光客の散策路であり、訪れる人々に憩いと安らぎ、潤いを与える観光拠点でもあります。

「巴波川・蔵の街ルネッサンス」計画

栃木市の街並み形成は、昭和63(1988)年頃。県の誇れるまちづくり事業の指定を受けたのをきっかけに、「巴波川・蔵の街ルネッサンス」をテーマにしたまちづくり計画がつくられ、街並みの修景づくりが行われました。修景については、栃木市の歴史的建造物の保全・修復とともに、特徴である蔵を復元し、

蔵の街にふさわしい街並みを築くことでした。蔵以外の建物も蔵のサイズに合わせて、軒や屋根をつくり、壁面も蔵が引き立つように色や素材を工夫されました。

栃木市歴史的街並み景観形成地区の指定

整備地区は、市街を南北に縦断する大通りと市街地を貫流する巴波川(うずまがわ)周辺の48haで、中でも南北に連なる中心市街地は栃木市歴史的町並み景観形成地区に指定され、「蔵の街とちぎ」シンボルゾーンとして街並みに整備が重点的にはかられ、住民と民間事業者、行政の3者が協働して歴史的町並みにとりくんでいます。

栃木市の中心市街地「大通り」の無電柱化事業

大通りは、アーケードを取り除き、無電柱化されました。

無電柱化された大通りは、中心市街地を南北に貫通する通りとして広々とし、街並みもすっきりしています。 沿道に建つ建物は、見世蔵(蔵づくりの商家)や大正から昭和にかけてのレトロ調の建物、そして比較的新しい建物が混在した状態ですが、街並みに調和した街灯や和風の看板、和瓦の庇など景色になじんでいます。このように大通りの街並み景観は、江戸から明治・大正、昭和そして現代までのそれぞれの建物が、外観も看板も個性的で変化があり、興味深く魅了されます。

歴史性があり、歩いて楽しく魅了される街並みは、関東には栃木市のほかに埼玉県川越市の川越地区、千葉県香取市の佐原地区などがあり、そのどれもが人気の散策ス ポットとして親しまれ、小江戸三都市といわれています。

アーケードの撤去と建築物の外観修景

歴史的街並みを再生するため、歩道橋や約900mアーケードを撤去するとともに、電線の地中化が実施されました。

修景基準を設けた上で建築物の外観を修景し、調和のとれた街並み景観の形成を推進しています。

無電柱化前:歩道にアーケードが架かり、少し古めの繁華街的なビルが建ち並ぶ商店

無電柱化後:歴史的町並み景観形成重地区として景観整備 嘉永元年(1848年)創業の三桝屋本店(右端・人形店)、国の登録有形文化財・毛塚紙店見世蔵(右から3軒目・明治41年建築)

 

あき蔵を観光交流の核となる施設として活用

大通り沿いの空き蔵を観光館や美術館、山車会館などを整備し、観光の拠点施設として活用されています。

 

山車会館

蔵野町美術館(H14改修):およそ200年前に建てられた3つの蔵を改修して連ねた市指定文化財

空き蔵を利用した写真館(主催:ネットワークとちぎ)

蔵の観光館:例幣使街道沿いに立ち並ぶ見せ蔵の一つとして代表的な存在

セットバック事業

大通り沿いの見世蔵の修景に伴って、そこを引き立たせるようにセットバックが施され、歩道との一体化が促進され、ゆとりある歩行空間が広がっています。

街の景観形成

市民が自主的に関わることが絶対に必要です。市民が関わるためには、商店街であれば、商売が繁盛し、経済的に発展することです。住民にとっては、居住環境が改善され、住みやすい街になることです。それには、市民自身が自主的にルールや歴史的街並みを守り、改善していくことです。それを着実に実行していくと、栃木市や川越市が証明したように、景観は10年、20年の単位で変わっていくことになります。

景観計画で栃木市がうまくいったのは、商店主などの事業者や市民が積極的にまちづくりに参画し、啓発やイベントを進めたことにあります。つまり、街並みの景観を良くするだけでなく、中心市街地を活性化していこうと、市民が中心になって観光事業や居住環境改善に取り組んだことが成功に結びついたといえるでしょう。

街並み修景のポイント

ハード:軒線の連続

・軒線の連続:街並みの一体性を感じさせるために、1階部分の軒線を連続する

・駐車場などの空地には、勾配屋根のゲートを取り付ける

その他

・セットバック(壁面後退)

・屋根の処理(勾配屋根など)

・日除けの工夫

・看板

・シャッター

・建築設備

ソフト

・栃木市歴史的町並み景観形成要綱の制定
・栃木市歴史的町並み景観形成補助金交付要綱整備後・トランス

無電柱化機器の修景整備

整備前・トランス

整備後トランス(裏面に記載:このキュービクルカバーは「栃木の元気な森づくり県民税」でつくられています)

平成21年度 都市景観大賞「美しいまちなみ賞」

栃木市HPより

江戸から明治にかけて建てられた蔵や大正時代の洋館が数多く残されているだけでなく、市民によって構成されている街づくり組織、イベント主催団体が多数存在し、それぞれが活発な活動をしている。市民が自らの街に愛着 と誇りを強く感じていることが伺われる。また行政は旧日光例幣使街道沿いの地区を中心に街なみ環境促進地区を指定し、緑地や堀の整備、街なみ修景事業に取り組んでいる。このように市民と行政が一体となってまちづくりに取り組んでいることが高く評価できる。また北関東に残る蔵の町の保存再生例として川越とともに高く評価でき、順調な成熟も好ましい。

平成13年から10年間行われた街なみ環境整備事業

修景補助事業に加えて、県庁堀整備や蔵の街美術館前庭の緑地整備、蔵の街サイン整備や旧庁舎別館の修景事業が行われました。

とちぎ蔵の街美術館前庭

県庁堀

旧庁舎別館修景

終わりに

栃木市は、江戸から明治にかけて、日光例幣使街道の宿場町としてまた、巴波川を利用した舟運による商人町として繁栄しました。江戸末期の 大火で、焼け残った蔵づくりの建物は、改めてその防火性が見直されました。栃木市にとって、『蔵』づくりの建物は、かけがえのない歴史的、文化的財産であり、蔵と巴波川を活用した個性豊かなまちづくりを目指して取り組んできました。

巴波川に鯉を放流してから始まった栃木市の街づくりは、今日55年目を迎えました。大変長きに渡り継続して住民、民間事業者、行政の3者が協働して歴史的町並みの整備に取り組んだ結果、観光客数がH3年の約161万人からH17年には約200万人になりました。

多くの都市の中心市街地の衰退が 問題になっている今日、栃木市は将来に向かって期待できる足がかりができたのではないでしょうか。

無電柱化事業はそのものが目的ではなく、街づくりのビジョンに向かって最初にしなければならないインフラ整備と考えます。栃木市はそのビジョンとして、巴波川と蔵のまちの再生をもって成功したものと思われます。

※髙山理事よりいただいた報告書より抜粋して掲載しています。