取材報告者 濱田桜
取材内容 「電柱・電線の有無における景観の意識調査」

3月4日(金) 10:30~11:30 WEB ZOOMで、国際日本文化研究センター所長の井上章一様に取材させていただきました。

 井上様の紹介

・国際日本文化研究センター所長
・専門の建築史・意匠論のほか、風俗史、美人論、関西文化論など日本文化についてひろい分野にわたる発言で知られる。
・『京都ぎらい』,『日本の醜さについて』など著書多数。

取材の目的

日本の無電柱化率は2%。しかし、電柱や電線がない景観写真は現実に反して多く目にするように感じる。 PR写真としておさめられる街の様子は実際の無電柱化の進行度合いと一致していない。この現状は、写真を撮る際に電柱や電線が写らない場所、角度を一部分の切り取りとして選んでいる証拠ではないだろうか。ツールを媒介することで、その場に訪れたことがない人はきれいな空間(無電柱化の美しい景観)が広がっていると勘違いし、良い印象を受け、現地の魅力を感じ取っている。つまり、私たちは自然と無電柱化の世界は美しい世界であると感じているのだ。 そこで、「電柱・電線の有無における景観の意識調査」として景観に関連するかた、識者のかたのご意見を伺い、まとめることで、無電柱化の認知拡大とその魅力発信をしたいと考えた。さらに、写真で切り取っている理想の無電柱化の街が全国に広がればと考える。

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Q1. 井上様の考える良い景観とは?

A1. 目に心地よい風景のこと

▲サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂と ベネチアの街並み

(電柱・電信柱・電線だけの問題だけではないが、フィレンツェやべネチアの風景など) 私自身、建築学が専門で、学生時代に地中海の建築物や建築中のものの見学に行ったことがきっかけでヨーロッパ基準が憧れになっているのかもしれない。

Q2. これまでに最も美しいと感じた景観とその理由

A2. フィレンツェ、ベネチア、ポーランドのワルシャワ。
ベネチアは、満潮時などに広場に海水が侵食する水没が問題となっているが、その危機を防ぐために海に防波堤を設ける計画が立てられている。ベネチアの人はこの計画をモーゼ計画と呼んでいる。 日本では、東日本大震災後にみられるようなコンクリートの防波堤を思い起こす。一方、ベネチアでは風景をまもるために可動式の防波堤をつくり、干潮時には下げて見えないようにし、満潮時や洪水が発生しそうな時のみ上げて、浸水を防ぐことはできないかという意見が出た。この防波堤を造るには、莫大な費用がかかり、実現が難しいのだが、日本ではこのような発想すら起きない。

▲水位が上がってしまったベネチアの広場

ワルシャワは戦争でナチスの空爆の大被害を受けたが、見事にーから元通りの街をこしらえた。瓦礫のーつひとつに番号をふって復元。日本のように「新しくするのだからこの際、頑丈で安心な新しい鉄筋コンクリートのビル街にしよう」と思わない。

アマトリーチェ(イタリア)は大地震の被害を受け、建物が壊れたが、伝統的景観を守るために、また崩れるであろう元通りのレンガで再建。頻繁に地震のある国だが、日本と違い耐震補強の面で不安があってももとの街を復元している。

Q3. 電柱・電線がなければよいと感じる場所は?

A3. 家の近所(宇治川の真横)。
琵琶湖国定公園は家にソーラーパネルを設置することを市役所が許してくれなかった(琵琶湖国定公園の景観にふさわしくない)。地球へのやさしさと景観へのやさしさは両立しない!!だが、高圧鉄塔はある。

Q4. 無電柱化に対してどのようなご意見があるか?

A4. 無電柱化に一定の意味があるという考えのもとに、電力会社は細々と無電柱化を進めていると思う。が、地中化することで安全点検のコストがかかるのではないか。 日本は安全点検(停電などの被害を防ぐこと)を第一にする国だから、ヨーロッパのようには上手く工事が進まないと思う。とりあえず、安全点検よりも地下に埋めることが先だと言えるか。日本から見ると雑とも言える工事で地中化を進め、風景が第一であるヨーロッパを見て、日本人がそれを受け入れることができたら進むのではないか。

外国は市電(トラム)が走っているところには架線があるが、それを除き電線を見ることはない。大阪の御堂筋は電線無電柱化されていてすっきりしているが、上空にハイウェイが通っている風景が出現する。電線を無くしたところで、はたして良い景観が獲得できるのだろうか…?

加えて、私が出会うタクシーの運転手は無電柱化された景観に気が付いていない。日本の都市の風景に電線をとったところでありがたみを持っている人がどれだけいるのかと思うと、ありがたがられていないのかと思う。ヨーロッパ人は先述の大阪の阪神高速の高架や日本橋上空の首都高速道路に非常に興味をもち、感心する(ヨーロッパでは見ないから)。風景に対する価値観はそれぞれだ。

 

Q5. 井上様の著書『日本の醜さについて』より、日本のイメージとして性格と建造物や街並みは違う、対照的というお考えはいつ頃からあったのか? (下図のように景観よりも防災や安全を期待しているようだ)

出典)大庭哲治,井上利一:令和元年台風15号による電柱損壊と無電柱化に対する受容意識への影響, 都市計画論文集, No.56-2, pp.224-233, 2021.

A5. 46年前の21歳の時に建築の勉強でヨーロッパに行ってから。建築を見ていると物事が違って見られる。ヨーロッパの建物を魅力的に感じる。パリのオペラ座前の繁華街、ローマ、ウィーンの建物はほぼ区別がつかない。全体の和を重んじている。一方で、大阪や東京はどの建物も隣に似ないもの。エゴイズムの塊。通説的な日本人論とは逆である。

 

Q6. カーネルサンダースやペコちゃん、薬局の人形たちは日本独特なイメージ戦略かと思う。一方で無電柱化を進めた場合、地上機器という変圧関連の装置が設置される。その地上機器を子供向けの像やマンホール風にその士地の有名なものを描くなどすれば、日本人受けすると考えたが、これに対するご意見は?

▲街中の地上機器(神戸市中央区)

A6. 無機的な直方体が無難

九州・本州をつなぐ関門海峡トンネルの入り口がフグである!現代的な見方で、日本ではかわいいと見られるが馴染めない。日本はご当地キャラに代表されるようになんでもキャラクターにする傾向がある(世界に類例のないもの)。かつて大阪のくいだおれ食堂がくいだおれ人形をビルにすえる計画を発表した。しかし、金融機関からは街の景観にそぐわないと融資を貰えなかった。そこには景観に対する大人の配慮があった。今は幼稚な街並みがまかりとおるようになっている。

 

Q7.日本の建築が外国のように規制が激しくかかるようになれば、無電柱化も進められるきっかけに繋がると思うか?

A7. 「町の調和を重んじる」という意識になれば可能ではないか。現在でも日本の規制は厳しくないわけではない。避難経路、耐震、防風など安全面について厳しい(色や形は自由)。ヨーロッパには建築委員からの色や形が調和しているかの要求が通らないといけない。 日本を代表する2つの古都(京都・奈良)をつなぐ国道24号線の景観は乱雑。そのことにすら気づいていない人がほとんど。これは、景観意識の投影。今の状況なら、電線が無くなっても一緒ではないか。

 

Q8.バブル期にモダニズム建築からポストモダン建築に至る過程を大学の講義で学んだのだが、実際にこのような変化がある中で、特に景観が大きく変わったと思われる場所など、井上様はどのようなご意見をお持ちであるか?

A8. 大きな変化だとは思わない(高度経済成長期の方が変化が大きい)。 20世紀半ばまで京都は(黒い木造2階建て)が全体のドミナントな風景で調和がとれていた。しかし、 20世紀半ば以降変化しないことを恐れる街になった。

例としては、祇園祭。かつての祇園祭は、背の高さ、キラキラ明るいナンバーワンが鉾であり山であった。 それが100年たつと街の風景が変わり整然と並んでいた京町屋が様々なビルに建て替わり、ナンバーワンでなくなっている。周りの方が高くて明るい。祭りそのものが守られれば風景が違っても気づかない。継承されていると思われている。イタリアのフィレンツェは、建物の風景も含めて何百年も変わっていない。

▲祇園祭の風景(京都市)

 

Q9. 無電柱化を進めるにあたり、参考となる資料があればご教授いただくことは可能であるか。

A9. 無電柱化の専門家ではないので、特にお勧めするものはないが、建築家は作品発表(特にオンライン)の際にCGで電線を省くことがある。強い景観規制をせず、電線の乱反射も受け入れる日本だから、建築家は自由な設計ができる。その恩恵を被る建築家たちが、自作のプレゼンでは電線を省略する。皮肉な話。

その他の情報.
・日本と外国の建物の価値(築年数)
日本は築30年の建物は価値なし(土地の値段のみ)。こえれば新しくするように勧める。関西学院大学のキャンパスはきれいな景色だが、経営コンサルトがいれば、売却する方が儲かると日本では思われる。が、あの風景を守ってほしい。ベネチアでは大半の建築が築300年以上だが、京都で探そうと思ってもなかなかない。歴史都市の会議で伝統あるヨーロッパの都市と京都が肩を並べて話していると、恥ずかしく感じる。
・電線の景観について
電柱・電線の問題を知らなかった時代の記憶を大切にするべき!! そのことで両面からの主張や考えで人に伝えることもできる。

 

◆まとめ

井上章一様への取材を通して、建築の勉強をされてきた立場、日本人として一般的に持たれるイメージや根本意識からの視点で景観について知ることができた。井上様は統一感のある伝統的なヨーロッパ風の建造物に憧れを持たれている方であり、無電柱化については課題があるも、肯定的な姿勢を示している。

どの質問項目に対しても、例を挙げて説明していただいたが、中でも印象的であったのはモーゼ計画(Q2)だ。景観維持のために、大金を投資することはあるが、景観に馴染むようにすることが一般的であると思っていた。しかし、馴染ませることだけでなく、従来通りの役目を果たす頑丈なつくりを維持しつつ、海面が上昇した時のみ防波堤がせりあがる仕組みがあることを学んだ。同じものを同じ場所で使用する場合においても違う角度からせめることで革新的な案が出せることを証明しているようだ。

また、日本における景観については、現在の状況であると個性的な隣と違うものを目指していく統一感の失われた町になることも想像できた。私も無電柱化は進んでほしいが、安全面をヨーロッパ程乱雑にすると不安な面もある。さらに、ある程度の景観調和は測りたいが、ネットをみてその場に訪れることが主流となった現代は変わっているから面白い、人に紹介したくなり、SNSに取り上げる、それを見て他の人の興味をそそるという循環が起こっていると感じる。統一感を作るには時間がかなりかかり、周囲の同意も必要であるが、一つ類のない建物の建設することは費用があれば容易である。一度、個性ある町になると、元に戻すことはほぼ無理に等しいことも感じられた。

無電柱化の範囲の拡大についてはコストや認知度の他、興味や関心がないことが問題だという予想は適しているとも言える。だが、単に無電柱化を進行することへの興味・関心がないのではなく、完了しても変化に気づかないほど親しみがない、もしくは自分の都合がいい時にさえなければ嬉しい、ないように錯覚出来たらよいものなのかも知れない。電柱や電線は人間の目線よりかなり高い場所にあり、初めての場や有名観光地のように景観として全体的を見渡す際に認識されるものでもあり、それが広告や観光サイトで電柱・電線が写されない理由であるとも考えられた。